トーヴェ・ヤンソンの仕事 ー 画家

トーヴェは、ムーミンの物語だけでなく、芸術家として幅広く活躍した。1933年19歳でヘルシンキのアテネウム芸術大学へ入学して絵画を学ぶ。その後 奨学金を得てパリの美術学校に留学し、イタリア各地で絵画修業を積む。1945 年に『小さなトロールと大きな洪水』を発表した頃には、油絵が年間40点も売れるようになっていた。しかし、フィンランドがソ連、ドイツ両国と交戦し、戦争が激化するにつれて、精神的に疲弊し、絵が描けなくなっていく。

アトリエで下塗りをほどこすヤンソン
Photo: Per Olov Jansson
1944 年のトーヴェ・ヤンソン
ヘルシンキのアトリエを30歳の時から借り、
2001年に亡くなるまで60 年近くをここで過ごした。
Photo: Per Olov Jansson
20代半ばの自画像「たばこを吸う娘」
1940年 油彩、キャンパス 55×49cm
1940年代、トーヴェは自身の性格のさまざまな側面に焦点を当て、自画像を描いた。
自画像
1941年 油彩、キャンパス
レンブラントを敬愛し、画家を目指そうと志した頃の作品。
自画像
1942年 油彩、キャンパス
1945年最初のムーミン本を発表し、芸術家として成熟をしていく。
自画像
1975年 油彩、キャンパス
65×47cm
60歳を越えたころの自画像。母の死をきっかけにおとな向けの小説という新たな境地を切り拓いていった。

家族のだれかがなにかを創作したとします。すると、それが絵であるにせよ文章であるにせよ、家族みんなで自由に批評しあうのです。わたしはなにをするにしても、自分が信頼できる人びとから理解ある批評をしてもらわなければ、うまくいきません。(トーヴェ・ヤンソンの言葉)

ほんとうに大切なものがあれば、ほかのものすべてを無視していい。そうすればうまくいく。自分の世界に入りこみ、目をとじて、おおげさな言葉を休まずつぶやきつづける。そのうち確信がもてるようになる。(『彫刻家の娘』講談社)