トーヴェは、ムーミンの物語だけでなく、芸術家として幅広く活躍した。1933年19歳でヘルシンキのアテネウム芸術大学へ入学して絵画を学ぶ。その後 奨学金を得てパリの美術学校に留学し、イタリア各地で絵画修業を積む。1945 年に『小さなトロールと大きな洪水』を発表した頃には、油絵が年間40点も売れるようになっていた。しかし、フィンランドがソ連、ドイツ両国と交戦し、戦争が激化するにつれて、精神的に疲弊し、絵が描けなくなっていく。
家族のだれかがなにかを創作したとします。すると、それが絵であるにせよ文章であるにせよ、家族みんなで自由に批評しあうのです。わたしはなにをするにしても、自分が信頼できる人びとから理解ある批評をしてもらわなければ、うまくいきません。(トーヴェ・ヤンソンの言葉)
ほんとうに大切なものがあれば、ほかのものすべてを無視していい。そうすればうまくいく。自分の世界に入りこみ、目をとじて、おおげさな言葉を休まずつぶやきつづける。そのうち確信がもてるようになる。(『彫刻家の娘』講談社)