アンジェイ・ワイダとの出会い

エキプ初期の10年は、まさに巨匠の時代ともいうべきプログラムであった。サタジット・レイ、アンジェイ・ワイダ、羽田澄子の諸監督に牽引された時代である。エキプ10周年記念作品の第一弾「イフゲニア」の次の作品「ダントン」は、戒厳令が敷かれたポーランドで、反政府派の刻印を押されたワイダ監督をとりまく厳しい状況での上映は困難だった。しかし、フランス、ドイツ(旧西ドイツ)など西側での製作で、ワイダ監督は祖国への想いを問い続けた。その後、ポーランドの歴史を凝縮させた「婚礼」では、19世紀後半のクラクフを舞台に、祖国解放を夢見ながら、いたずらに時を過ごす知識階級の挫折を描いた。髙野は、ワイダ監督との映画の交流から、ポーランドと日本の架け橋となる、クラクフ日本美術技術センターの建設へと歩みを進めるのである。

大理石の男  1977  MAN OF MARBLE
監督/アンジェイ・ワイダ

ワイダ監督はウッジ国立映画大学を卒業後「世代」でデビュー。二作目「地下水道」は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受け、世界的に注目された。その後日本での公開はこの「大理石の男」まで、途絶えていたが、ワイダはテレビ映画なども含めて年に一本というペースで映画をつくっており、世界的な巨匠として活躍を続けている。「大理石の男」は、スターリンとソ連の影が濃い1950年代のポーランドで、労働英雄に祭り上げられた男をめぐって、現代の女子大生がその隠された部分を探っていく推理的な展開となっている。ポーランドで公開されるや驚異的な動員記録をつくり、海外でも大きな反響を呼んだ。

愛の記録  1986  CHRONICLE OF AMOROUS ACCIDENTS
監督/アンジェイ・ワイダ

ワイダ監督は、1981年9月に戒厳令がしかれた約一年後にポーランド映画人協会会長の職を追われるように辞した。そして、1983年5月、自ら率いる製作集団Xの解散を命じられ、以後、映画製作は大きな困難を伴うものだった。「愛の記録」は、そのような状況の中で、ワイダ監督の復活を願う多くの映画人の協力によって製作が開始され、1986年に完成した。映画の舞台となっているこの地方は、大詩人アダム・ミツキエヴィチを生み、ポーランドの文学の故郷といわれ、コンヴィツキやワイダをはじめ、ポーランドの多くの人々にとっても特別の感慨を生む土地である。

約束の土地  1975  LAND OF PROMISE
監督/アンジェイ・ワイダ

19世紀の末、ヨーロッパ各地では、産業革命が始まっていた。その頃、ポーランドは、ロシア、オーストリア、プロイセンに分割統治され、工場や土地の多くはこれら外国の持ち物となり、この形態は百年にわたって続いた。「約束の土地」は、混乱と無秩序の時代に野心をもったポーランドの青年が、ユダヤ人やドイツ人を向こうに回して、いかに自分の夢を実現させていくか、そしてその夢の代償はなんだったのかをダイナミックに描いている。この作品の底に流れているのは明らかにアンジェイ・ワイダ監督の祖国ポーランドへの熱き想いである。

コルチャック先生  1990  KORCZAK
監督/アンジェイ・ワイダ

「コルチャック先生」は、ポーランドの伝説の人物として世界になお名を残すヤヌシュ・コルチャック(1878〜1942)の物語である。ワイダ監督は、この作品の映画化を20余年の構想の後に実現させた。「コルチャック先生」の製作は、ワイダ監督の生涯の課題だったが、連帯が勝利し、また敗れて非合法となり、完全に確立された1989年こそ、そのチャンスだった。ワイダ監督のもとに、彼の製作集団Xのメンバーが集まってきた。ワイダ監督作品に欠くことのできない俳優ヴォイテク・プショニャックは、撮影後も役柄からぬけだせないほど、このコルチャック役に没頭した。

ダントン  1982  DANTON
監督/アンジェイ・ワイダ

ワイダ監督が、フランス革命に題材をとった問題作であり、「大理石の男」「鉄の男」と並んで”革命三部作”ともいうべき作品群を形作っている。革命の代表的な人物ダントンとロベスピエールの葛藤を通して、国を超え、広く人間の生き様を浮き上がらせることに成功している、この二人の対立は革命を成就させ、民衆を幸福へ導こうという共通の目標で結ばれていた者同士が直面した対立である。そこには、悩み、悲しみながらも闘わなければならない宿命の二人が力強く描かれている。

カティンの森  2007  KATYN
監督/アンジェイ・ワイダ

本作はワイダ監督の両親に捧られている。ワイダ監督の父親は第二次世界大戦中の1940年春「カティンの森」事件で他のポーランド将校とともに、ソ連軍に虐殺され、母親も夫の帰還の望みが失われていくなかで亡くなった。監督デビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知り、自ら映画化を熱望していたが、冷戦下でタブーとされていたこの事件は、描くことはもとより、語ることすら叶わなかった。しかし、冷戦の終了とともに、少しずつ真実が公にされ始め、事件から70年近くの歳月がたった今日、ついに積年の想いのこもった映画が完成した。

アンジェイ・ワイダ(1926-/ポーランド)

ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる。青年時代に浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年にクラクフ美術大学に進学する。その後、進路を変えてウッチ映画大学に進学。1955年、『世代』で映画監督としてデビュー。ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描き、当時の映画界を席巻した「ポーランド派」の代表的存在となる。髙野悦子との出会いは、「大理石の男」の岩波ホールでの上映依頼になる。京都賞の受賞金を全額寄付してクラクフの日本美術芸術センター建設へ繋げた。2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞。2007年にはカティンの森事件を扱った『カティンの森』を製作。翌2008年の第80回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされた。2013年、連帯の指導者から大統領となり、ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサを描いた『ワレサ 連帯の男』を発表し、現在も精力的な製作活動を行っている。