ごあいさつ
ギャラリーエークワッド 館長 白川裕信

「100人の日本橋」撮影会は、雨模様の天気が続く間隙を縫って、9月3日に開催されました。レンズ付きフィルム(写ルンです)により、100人が100様の街の姿を切り取る、という参加型イベントは11年前の東京駅に始まり、8回目になります。今回対象とした日本橋エリアの象徴となる「日本橋」は徳川家康の全国道路網整備計画の中で木造太鼓橋として架けられたものに始まり、明暦の大火等による消失、再建を繰り返し、明治44年に完成した石造二連の橋が現在に至っています。日本橋は五街道の起点であり、橋のたもとには築地市場の前身となる魚河岸があったように、下を流れる日本橋川は江戸へ物資や文化、人を運ぶ重要なインフラとして機能していました。日本橋は陸路と水路の要衝であり、橋は広重、北斎らによって江戸らしさ、日本橋らしさを表象する景観要素として描かれたように、多くの人に親しまれていた様子が窺えます。

時は1964年10月10日、いきなり時間はワープしますが、東京五輪の開会式の一点の陰りもない晴れやかなシーンは鮮明に脳裏に焼き付いています。日本の高度成長期の一大イベントとして実現した五輪開催の背景で進められた社会インフラの整備、中でも首都高速道路の一部は、用地買収の難しさも起因して、日本橋川の上空に架け渡され、大きな影を落としています。この影響で日本橋地区は、三越・室町エリアと高島屋エリアに二分された印象があります。本年7月には、国土交通省が、2020年の東京五輪・パラリンピック閉幕後に地下移設に向けた工事を開始するための関係者協議を本格化させる方針を明らかにしています。「日本橋」という重要文化財(平成11年指定)に文字通り光を当て、また生物の生息にとって欠かせない太陽の恵みを日本橋川に取り戻し、歴史遺産を健全な姿で未来に繋げられることを心より祈念しています。最後になりますが、本企画に対しましてご支援いただきました関係者の皆様に、心より御礼を申し上げます。

ツールへのこだわり;デジタル全盛の時代に、敢えて、アナログの「写ルンです」を使うことについて

一過性による真剣勝負と時系列を大切にする。そして誰もが使える同じツールで撮影すること。

デジタルカメラとは異なり、その場での確認ができず撮り直しができないこと。

写した写真は当然その日の時間の流れを忠実に記録し時系列に並んでいること。

年齢、性別、プロ・アマなどを問わず、だれでも全く同じ性能のカメラであること。