アイノとアルヴァ 二人のアアルト

アトリエのアイノ&アルヴァ・アアルト ©Aalto Family Collection

アイノ・マルシオ(後のアイノ・アアルト、1894-1949)が、まだ無名の建築家・アルヴァ・アアルト(1898-1976)の事務所を訪ねたのは1924年のことです。その時アイノは30歳、アルヴァは26歳で、二人はともにヘルシンキ工科大学の卒業生でした。

アイノはアルヴァの事務所に入り、二人は半年後に結婚しますが、不幸にもアイノは54歳という若さで他界します。しかし、この25年間は二人にとってかけがえのない創造の時となりました。

アーロン・クッカ(アアルトの花) Photo: Martti Kapanen ©Alvar Aalto Foundation

アイノ&アルヴァ・アアルト/1940s ©Aalto Family Collection

アイノがアルヴァのパートナーになったことで、アルヴァに「暮らしを大切にする」という視点が加わり、使いやすさ、心地よさが、空間にやわらかさと優しさを生みました。そのことは、アルヴァが世界的に名を知られる建築家となる礎となります。モダニズム建築の流れのなかで、アルヴァの作品にはヒューマニズムと自然主義が宿っているといわれるのは、多分にアイノの影響があったことと想像できます。

小さな事務所からスタートした彼らの作品は、1920年代後半になると、国際的な潮流となるモダニズムデザインに影響されます。モダニズムと呼ばれるその思想を支えていたのは、シンプルであること、実用的であること、そして低コストによる量産化といったもので、これは二人の想い=思想とも重なり合うものでした。彼らは自国フィンランドの環境特性をふまえ、自然から感受した要素をモチーフとしたデザインを通じ、彼らなりのモダニズムに対する答えを探求していくことになります。そして1933年の《パイミオ サナトリウム》、1935年の《ヴィープリの図書館》といった作品は、彼らの名を広く世に知らしめることになったのです。 また、そこで発表された家具は、後のアルテック設立へとつながります。

二人の役割については、建築をアルヴァ、インテリアや家具を主にアイノが担当したと言われていますが、重要なことは、役割を切り分けることではなく、生活革命ともいえるビジョンを共有したという事実です。二人は互いの才能を認めあい、影響しあい、補完しあいながら対等のパートナーとして作品をつくり続けたのだといえましょう。
女性が社会に進出することが少なかった時代において、アルヴァは常にアイノにリベラルに、そして対等に向き合いました。そのことはアイノに大きな勇気を与えたことでしょう。

アアルト自邸再現コーナー(ギャラリー エー クワッド)

本展は、これまであまり注目されて来なかったアイノ・アアルトの仕事に触れることで、アルヴァ・アアルトの建築とデザインの魅力を見つめ直し、新たな視点を見出そうとするものです。時代を超えて愛され続け、現在でも新鮮さを失わない彼らのデザインは、デジタル化への一途をたどる現代のデザインに身を浸した私たちに、身体感覚や暮らしに基づいた手触りの魅力を伝えてくれるでしょう。