略歴
|
1908年(明治41年) |
- 9月7日 東京・本所生まれ。家業は呉服屋を営んでいた。
|
1923年(大正12年) |
|
1926年(大正15年) |
- 建築雑誌「住宅」誌主催「小住宅設計懸賞」に2案応募して入選、選外佳作となる。(17歳)
|
1931年(昭和6年) |
- 東京美術学校卒業。卒業制作が最小限住宅(新しい住宅のスタンダードの在り方を提案)。在学中からアントニン・レーモンド建築事務所に通っていたが、正式に入所。(23歳)
|
1940年(昭和15年) |
- 帰米したアントニン・レーモンドに呼ばれ、渡米。(32歳)
|
1941年(昭和16年) |
- 太平洋戦争開戦直前に最後の引き揚げ船で帰国。
- 同じ船に乗り合わせていたジュリアード音楽院に留学していたバイオリニストの大村多喜子さんと出会い、その後結婚。チェリストになった長女・隆子さんと3人家族。
- 同年12月8日 太平洋開戦(真珠湾攻撃)の日に建築設計事務所を開設。(33歳)
|
1945年(昭和20年) |
- 東京美術学校(現在の東京芸術大学)助教授に就任。(37歳)
|
1956年(昭和31年) |
- 日本建築学会賞受賞(国際文化会館の共同設計)(48歳)
- パーソン賞受賞(ニューヨークの一連の作品)
|
1960年(昭和35年) |
- 皇居新宮殿の設計者に選定され、基本設計。(52歳)
|
1962年(昭和37年) |
|
1970年(昭和45年) |
|
1972年(昭和47年) |
- デザイン優秀賞受賞(ニューヨーク・ジャパンハウス)。
|
1975年(昭和50年) |
|
1980年(昭和55年) |
- 病に倒れ入院するが、およそ1年で現役復帰。(72歳)
|
1982年(昭和57年) |
|
1994年(平成6年) |
|
1997年(平成9年) |
|
主な作品
|
1953年(昭和28年) |
|
1954年(昭和29年) |
- ニューヨーク近代美術館日本館 松風荘/アメリカ
- 三里塚教会/千葉
|
1955年(昭和30年) |
- 園田高弘邸/東京
- 国際文化会館(前川國男、坂倉準三と共同設計)/東京
|
1956年(昭和31年) |
|
1957年(昭和32年) |
|
1959年(昭和34年) |
|
1960年(昭和35年) |
|
1962年(昭和37年) |
- 軽井沢の山荘(吉村山荘)森の中の家/軽井沢
- 同志社大学アーモスト館/京都
- NCRビル/東京
|
1965年(昭和40年) |
|
1966年(昭和41年) |
- 愛知県立芸術大学・講義室棟ほか/愛知(〜1971年)
- 文殊荘/京都
|
1969年(昭和44年) |
|
1970年(昭和45年) |
- 軽井沢の山荘(脇田邸)/軽井沢
- 山中湖の山荘(亀倉邸)/山梨
- ホテルフジタ/京都
|
1971年(昭和46年) |
|
1972年(昭和47年) |
|
1974年(昭和49年) |
- ポカンティコヒルの家(ロックフェラー邸)/アメリカ
|