江戸時代や明治の日本では、樹木が水を吸い上げ、その養分が脈々と全枝に流れるように、人から人、自然から自然へと文化が伝わっていました。その頃の日本には自己表現のみの芸術ではなく、日々の暮らしの所作や日常そのものに芸術が宿っていたと言います。しかし、現代の日本はどうでしょうか。分断された文化の大木が根を失って、若者は文化の水脈を探しながら彷徨っているように見えます。
日本は木の文化の国といいます。荘厳で繊細な伝統建築の木の工芸、その影に無数の道具が職人の手となり心となり働き、匠の技が磨かれていきました。今はその木の文化も滅びつつあり、道具も技も消えつつあります。しかし、物を作り続ける限り、道具に宿る職人の誇りや情念は、人から人へ、その技とともに、わずかであっても現代へも伝わり続けています。
職人の道具作りには意地があり、粋な世界がありました。中でも際立っているのは鍛冶職人(かじしょくにん)です。鋼(はがね)の神秘と日夜取組み、対話を続ける最高の文化人です。注文する大工との厳しい交流の中で、それぞれの作風を打ち立てて、道具に誇りと魂をかけ、作銘にも凝ります。鉋の名工である千代鶴是秀などは、大工の棟梁へ譲り状をしたため、「嵯峨の秋」、「神雲夢」などと銘を打ち、心粋を極めた作品を数々残しました。鉋鍛冶(かんなかじ)職人は、手足に皺が出来、技と心の余裕があらわれる齢になる頃、鍛冶の業が土の心、火の心、鉄のこころを見分け、聞き分けるようになり、その技を鍛え上げたものには、粋も意地も超えた縹渺(ひょうびょう)たる余韻が漂うといいます。
この企画は、エバレット・ブラウン氏の湿板写真により、日本の名匠を支えてきた道具とその匠の技を通して日本のものづくりの原点を、捉えようとする試みです。日本を代表する職人・匠の技術を支えた名工の道具、またそれらの技術の結晶である建造物の数々を、江戸時代の技術で撮影された「湿板写真」により紹介しました。私達はそれらの写真に日本の面影を視ることでしょう。日本の匠を追い、日本の精神とは何か、ものづくりに宿る魂とは何か、それは現代の日本のそこ、ここに潜んでいる…と思います。