写真家としてのアイノ・アールト

アイノ・アールトは熱心な写真家でもあった。学生時代に写真に興味を持ち始めたアイノは、フィンランドで「ニュースクール」とよばれた写真のモダニスト達の先導者であるエイノ・マネキンが1931年に雑誌『ヴァロクヴァウス』誌の中で提唱していた「光とスピリット」という基本要素を実践した写真を多く残した。

「ニュースクール」はモホリ=ナギのモダニズム運動の影響を大きく受けていた。アイノとアルヴァはCIAM(モダニスト建築家の国際組織)の仕事に携わりバウハウスで、教鞭をとっていたハンガリー出身のラースロ・モホリ=ナギとの交友関係を得た。モホリ=ナギが友人とフィンランドを訪れた時は一緒に旅をし、アールト事務所がデザインした建築の写真も撮っている。

モホリ=ナギは写真だけでなく、芸術のあらゆる分野に積極的に取り組んでいた。アイノはモホリ=ナギのカメラ操作を身近に見ることにより触発を受け「ニュースクール」の大胆な技法で光と影のコントラスト、パースペクティブの効いたアングルなどを試みた。

上/パイミオサナトリウム/1932
建設途中のパイミオサナトリウムの外気浴棟のバルコニーをとった一枚。カメラを傾けて建築を見上げて撮った写真。「パイミオサナトリウム」の形態言語に触発されて撮った抽象的表現。暗い影と光の当たった面とのコントラストはグラフィックアートを想起させる。

下/家族写真(娘のヨハンナ/右と息子のハミルカル/左)/1932
モホリ=ナギに影響を受け、主題の選び方や写真の撮り方において様々な方法をアイノは試みた。この写真では、自身の子ども達をあえて顔が見えない斜め上から撮っている。