コロナ禍の東京南半分
静岡県立美術館館長、神奈川大学特任教授 木下 直之

なぜ2020年に東京の南半分をみんなで写真に撮ろうという話になったのだろうか。それは、これまでの「100人の○○」シリーズと異なり、東京を丸ごと撮ろう、でも東京はあまりに広いから2年かけて半分ずつにしよう、東西で分けてもいいけれど、それでは人口も風景も違い過ぎる、たぶん誰もやったことがないから南北で分けてみよう、そんなことを考えたのだった。境界線はエイヤーと引いただけだが、結果的に鉄道の中央線と重なり、東西に長い東京の地形や川の流れ、さらに人の流れも見えてきた。

逆に南北は短く、島嶼部を除けば、ざっと東西の88㎞に対して44㎞しかない。しかし、江戸がもともと江戸湾に面して建設された都市であったことを考えれば、南北に走る海岸線は東京の原風景といえるだろう。そのほとんどが、今回の撮影範囲に含まれる。日本橋を起点に街道が整備されると、東海道は南に向かい、中山道、日光街道・奥州街道は北に向かった。それぞれの最初の宿が品川、板橋、千住である。南北の基軸は、江戸が東京になってもなおしばらく変わらなかった。

東京を変えたのは、1945年の空襲で焼け野原にされ、そしてその後に迎えた高度経済成長だった。自動車社会を前提に東京を周回する道路が整備され、その下に地下鉄を走らせた。しかし、これからの東京はその姿を大きく変えるだろう。

そもそもなぜ東京を丸ごと撮ろうという話だったのか。東京2020オリンピック・パラリンピックに合わせての企画だった。ところが新型コロナウイルス感染症の蔓延により、開催延期と決まったのが3月24日、それを待っていたかのように外出自粛が叫ばれ、人の動きを止めた。4月7日には、政府が緊急事態宣言を出した。5月4日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が「新しい生活様式」を提言した。

そして今は、人と人との距離を取ることが強く求められている。「ソーシャルディスタンス」という聞き慣れない言葉を誰もが口にするようになった。当面、それは飲食店で切実な問題となって現れ、席数を半分に減らすとか、アクリル板の仕切りを設けるといった対応に追われている。ついで公共施設、商業施設、娯楽施設、オフィスへと波及し、やがて建築のデザインに変更を迫るはずだ。必然的にそれは都市を変える。

去年の東京の北半分を撮ることと今年の南半分を撮ることとは一連の企画であったはずなのに、肝心の東京が繋がっていない。大きな断絶が生まれた。東京のいったい何を撮るのか。参加者が撮影のために外出したのは3月14日から22日の間だったが、そのころはまだ東京の変化に気づいていなかったかもしれない。しかし、それが写真には写っているかもしれない。

木下 直之 きのした なおゆき

1954 年浜松生まれ。東京芸術大学大学院中退、兵庫県立近代美術館学芸員、東京大学総合研究博物館助教授、同大学院人文社会系研究科教授を経て、2017 年静岡県立美術館館長、2020年より神奈川大学特任教授となる。『わたしの城下町』(筑摩書房)にて2007 年度芸術選奨受賞。2015 年紫綬褒章受章。主な著書に『美術という見世物』『ハリボテの町』『股間若衆』『世の途中から隠されていること』『せいきの大問題』『動物園巡礼』『木下直之を全ぶ集めた』などがある。