続・お高いところから失礼します

淺川 敏  写真家

大の都市好き、昨年に引き続きちょいと高飛車に高いところから東京を見てみましょう、ということでモスラもガメラもガラモンも訪れた東京タワーに向かい東京をぱしゃり。東京の超高層第一号は霞ヶ関ビルだが今回の範囲外、なので二年後に竣工した世界貿易センタービルへGo!ところがなんとCOVID-19の為展望台は使用不可、何たることかはじめに描いていた作戦に支障が、大好きな景色の宝箱、六本木ヒルズも登れないとの情報が、それでも登れるビルを梯子して、最後に訪れたのは霊峰高尾山。天狗様の霊力での災厄消除を願う為に都市に向かって音を響かせる。「ぱしゃり」!

人がいない街の眺め

荒俣 宏  博物学者

東京の南はふだんあまり行かない。行くときは品川で、たいていはお墓参りだ。コロナ禍は初夏も変わらなかったが、どういうわけか仏の光みたいな静かな晴日和に当たり、しかもお寺と墓地が多い高輪の一画を歩いて、不思議な静寂を感じた。半分涅槃に至ったような気分だったが、南方観音浄土のイメージがだぶったのだろうか。まだエンジンがかからない工事の人たちも、無言で交通整理をしていた。光の下には音がない。自粛が生み出した光景といえる。

公園に注目する

池田 晶紀  写真家

マスクをして公園に行くことが日常へと変わっていく。
変わったことが日常で、何も変わらないことが、
不思議にもありがたいと思える日々を過ごしながら、
子どもを連れて今日も公園へと出かける。
しかし、こうして改めてみると公園にある構造物というのは、
実にいいもんですね。
不自由な仕掛けを用意して、自由に遊ぶことができる。
こうした体感をもっと日常にもち込んでいくべきかも知れない。
そんな風に思えた散歩日和。

3月22日のわたしたち

池ノ谷 侑花  写真家

渋谷は好きな街なのでよく歩く。
人混みは好きではないが、欲しいものがなんでも揃っているのでついつい向かってしまう。
今日は片手に写ルンですだけ持ち、写真を撮りに行った。
相変わらず人が多い。すれ違う人たちの表情は生き生きして楽しそうだった。
時折見かける、人工物の中に自然が存在する姿と、自然の中に存在する人工物の姿が不自然でおもしろかった。
東京の姿がそこにはあった。

渋谷のネズミ

石川 直樹  写真家

渋谷にネズミが大量発生している。渋谷では、東京オリンピックに向けた再開発に次ぐ再開発によって、居場所を奪われたネズミが繁華街の路地を彷徨っている。オリンピックが延期されたうえに、コロナ禍のために人影のないセンター街を彼らはわがもの顔で走り、しぶとく生き抜いていた。パンデミックによって人の移動が制限される一方で、都市の野生が目覚めて、逆に活発化するという皮肉。東京はそういう街なのだ。

建築信仰

エバレット・ケネディ・ブラウン  芸術家

1964年の東京オリンピックの開催に備えて建設された国立代々木競技場。設計は丹下健三氏。代表的な作品として名高い。日本に到着した初日、初めて感動した日本の建造物。ヨーロッパの大聖堂のように天に向かう。何か神秘的な面影は今でも思わせる。自然界から見れば、アリの巣にも似ていないことはないが、この人類の営みの凄さ!その気持ちがなぜ湧くのか、撮影しながら考えていた。

自粛

加藤 文俊  慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科委員長

大相撲春場所が、無観客試合になった。テレビでその不思議な光景を見て、近所の公園に土俵があることを思い出した。撮影は2回に分けて、ほぼ同じルートを巡回。外出自粛の呼びかけのなか、いつも賑やかな界隈はやはり静かだった。公園やベンチには人影があって、そのようすにほっとする。桜は、まだこれから。月末に予定されていた出張もイベントも、ことごとく中止や延期になってしまった。なにより、人に会えないのが辛い。

目黒区路地裏たてもの探検~52kmの自転車旅

久米 信行  墨田区観光協会理事

目黒区に移り住んで18年余り。あぜ道か暗渠か。曲がりくねった毛細血管のような路地裏を自転車で漂流すれば発見の連続。名建築と桜を撮る目論見が外れて、古さと新しさが混在する不思議な写真集になりました。2020のフラッグやモニュメントの傍ら、マスクをする人できない人、トイレットペーパーを買えた人。それでも桜に微笑む家族の肖像。

2020年春、東京

小池 百合子  東京都知事

少し早い春の訪れを感じる東京の姿を、職員とともに撮りました。オリンピック・パラリンピックの熱戦が繰り広げられる競技会場は、多摩産材をはじめ木材を使い、選手や観客を温かく包み込む施設となりました。大会を静かに待つ選手村、賑わいの準備の進むお台場。美しい自然があふれ、教育や研究の拠点ともなる多摩の姿。感染症の猛威が続いていますが、春の息吹の中、多くの人々の夢と希望を乗せて東京は前に進みます。

消える界隈

菅沼 比呂志  インディペンデントキュレーター

勤務する学校近くの街が消えた。学生たちとよく行ってた飲み屋も、好きだった中華料理屋もなくなった。時々通った釣具屋もアウトドアショップも。渋谷区桜ヶ丘町1丁目から3丁目がなくなった。工事現場の囲いには、現代美術作品がプリントされたり、若者の笑顔の写真が並んだり、渋谷が新しく生まれ変わるとコピーが踊った。2023年には最高地上39階建てのビル群が出来上がるらしい。今回「界隈」の対義語は「中心」だということを知って、さらに驚いた。

Tゲート付近で

鷹野 隆大  写真家

今回の指定エリアには海がある。ならばと、泉岳寺からちょっと変わったトンネルを抜けて品川や田町のベイエリアを巡る経路を考えた。さて、久しぶりに地下鉄・泉岳寺駅から地上に出ると街の様子が違う。長年ひっそりと人目を憚っていた場所が大規模に掘り返されている。不思議に思って更地の向こうを眺めると高輪ゲートウェイ駅があった。忠臣蔵で知られる泉岳寺の向かいに英語名の新駅。二つのエリアは街並みも対照的で、結局ベイエリアに出た時にはフィルムはほとんど尽きていた。

ゆりかもめ東京臨海風景

土田 ヒロミ  写真家

江戸城の築城工事に伴う堀の掘削土を使用して丸の内、八重洲を埋め立てたのは、400年前。それから延々と海に進出。1995年に、その埋め立て地を<ゆりかもめ>が繋ぐように走る。終点の豊洲のあたりにオリンピックの施設が林立。今年オリンピックに沸くはずだった風景は、コロナ外出禁止と相まってガラガラの車両がモノ悲しかった。

湾岸

中村 征夫  写真家

水中用「写ルンです」を持ってお台場周辺を散策しました。予定としてはお台場の海中に潜り、水中写真を撮るつもりでしたが、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の競技会場となるため立ち入り禁止となり、潜水は叶いませんでした。お台場は臨海副都心として脚光を浴びていますが、コロナ禍のなか訪れる人も少ない、閑散としたお台場の姿をスナップしてみました。

懐かしの街

野口 健  アルピニスト

3歳の時にサウジアラビアから、日本に初めて来た僕にとって、日本は外国だった。
日本語が話せず「ガイジン」といじめられていた僕に、日本語を教えてくれたのは、近所の駄菓子屋のおばあちゃんだった。
学校の友達はなかなかできなかったが、町の大人達の友達はたくさんできた。
かつてにぎわいのあった団地は、ガランと人気がなく、取り壊されるのを待っている。
あの頃、外国だと思っていた下馬は、僕の故郷。

えべっさん、おぬいさん、将軍くん、善ちゃん「よにんでおさんぽ」
2020年3月20日の記憶

橋本 善八  世田谷美術館副館長兼学芸部長

「ねえ、善ちゃん」
「なんだい、おぬいさん」
「あたし、自粛とやらで近所のお散歩ばかりで、もう飽きたの。ちょっと遠くにいきたいワン。
えべっさんも、テレワークで太り気味だし、将軍君も退屈しのぎに威張ってばかり・・・」
「そうだよな~。じゃあ、原宿とか行ってみるか。そこから、
どんどん好きなところを、暗くなるまでお散歩するのはどうだい?」
「大賛成、大賛成!おぬい、うれしいワンワン。じゃあ、えべっさんと将軍君を呼んでくるね」

SOUTH EAST TOKYO 2020

藤元 明  アーティスト

今回はCOVID-19の影響もあり、車移動をしながら撮影したものが多い。取り留めもなく夕暮れの東京の右下のエリアを車で走りながら、何故か水辺(多摩川、運河、東京湾)周りの写真が多くなった。2020年の東京五輪開催が2021年への延期となり、期待されたジャパンツーリズムは不透明、浮かれた開発熱の意味は削がれ我に立ち返った。そんな虚構状態に束の間の東京らしさを感じてシャッターを切っていたように思う。

新しいキャラクター設定の東京タワー

真鍋 真  恐竜学者

2020年に出来た新しい建築と東京タワーをつなげてみたいと思った。そこで、20年3月に開業した高輪ゲートウェイ駅に行って、駅舎と東京タワーを一緒に収めることを思いついた。行ってみると、同駅から東京タワーは、二つのビルのわずかな隙間からしか見ることが出来ないことがわかった。前回のオリンピックの頃だったら、東京タワーは都内のどこからも見えるランドマークだっただろう。東京スカイツリーも出来た現在、東京タワーは、ちょっと控えめにその華やかさをアピールしようとしているのかもしれない。

すべては突然に、そして、ずるずると!

村松 伸  建築史家

退職する勤務先は「東京南」にあったので、3月のある日、記念に廻った。記憶と場所、そして自分というテーマで。時間切れで明日にしようと思っていたら新型コロナ禍に巻き込まれ、写真撮影は突然途絶えた。ずるずると退職し、ずるずると新たな勤務につき、でもステイホーム。いまだほとんど家にいる。そんな記念の写真たち。人生はすべてこんな感じなんだろうか。40年ほど前に東京に出てきた、東京の南側を転々とした。もっとよく見ておけばよかったと思っても、後の祭り、それも人生。

マスク姿の新国立競技場

森山 開次  ダンサー、振付家

東京オリンピック開催延期決定前、新型コロナウイルス感染の影響で世界がざわつく時節。今の日本を象徴する建築である新国立競技場へ向かう。道中、マスク姿の人が往来する竹下通りを通過。お披露目間近の新国立競技場もまた、白いフェンスに囲われ、マスク姿であった。希望や期待が込められた新国立競技場は、切なく感じられ、不安が漂って見える。先送りとなった大舞台。アスリートの奮闘と響き渡る歓声を静かに待つ今の表情を記録した。

戦争からリクリエーションへ/多摩ヒルズ

リサ・ヴォート  写真家、明治大学特任教授

東京都稲城市にある「元日本陸軍火工廠多摩火薬製造所」は、1938年から太平洋戦争終結まで使用され、現在はアメリカ政府の管轄となっています。70年以上もの間、手つかずの状態で放置されていたこの場所は、都内ではあまり見られない植物や生き物が生息する生物多様性の豊かな場所となっています。みずみずしく広がる緑地の中には、軍需品を貯蔵するために使われた古いバンカー、トンネル、遺構の壁や廃墟、防空壕などが、いまも点在しています。いろいろな思いとともに、かつて戦争のために作られた施設がいま人々のリクリエーション(re-creation 再び創造する)に息づいていることに焦点を当てようと試みました。