一つ目は「都心」という視点です。対象地として渋谷が多くの人に選ばれていました。昼だけでなく、夜の顔、早朝の顔もあり、「相貌の多様さ」は大きな魅力です。スクランブル交差点やハチ公広場では、群衆の中にいるというワクワク感、大衆に埋没することができるという気楽さ、そしてそれを客観視する私(撮影者)が見て取れます。隣接建物との見えがかりのデザインの差異を競っているかのような統一感のない街並み、知らない間にやられた感のある落書きは、「混沌」といった様相を感じさせます。ネガティブでもあり、エキサイティングでもあります。街は常態というものが存在しない生き物のようです。駅前に展開する車と人の動線が織りなす立体交差には都市のダイナミズムが表出しています。隣接建物の姿を写し取ってアイデンティティを失った高層ビルの姿、無性格の広場、開発から取り残された寂しげなビルの佇まい、さらには居場所を追われた小動物の動態など、明暗様々です。
二つ目は「世相、時代の気分、桜への想い」の表現です。コロナ禍による閑散とした空気感、不安の陰を漂わせながらも刻まれるオリンピックへのカウントダウン、山手線新駅をモチーフにした歴史の刻印、桜の華麗さに魅かれる一方で撮影者の側にあったモヤモヤ、社会状況を反映して様々な想いが表出しています。時節柄、オリンピック関連施設の写真が多い中で、1964年竣工の国立代々木競技場、駒沢オリンピック公園総合運動場を撮られた方は数知れず、50年という時を経てもなおオリンピックのアイコンとして生き続けていることを実感しました。
三つ目は「身近なところにあるとっておきの風景」といった、都市に対する親近感、ノスタルジックな思い出に浸る情感の表現です。下町の風景、銭湯、路傍の花など、情趣に富んだ風景、ヒューマンスケールの視点です。
更に、「撮影者が動く、視点を移動させながら撮る」という写真もありました。電車の中から外を見た風景です。動くとは方向性を持つこと、方向によって同じ対象でも見え方が異なってくるんですね。 歴史的文脈をトレースした写真からは、江戸を意識させる東京の姿も見えてきます。
「東京を撮る」、とても大きなテーマですが、昨年と今年で様々な姿が抽出されました。これはご参加いただいた100+20人の熱意の賜物であり、企画の集大成に相応しい内容になったと考えます。有難うございました、そしてお疲れさまでした。