一つ一つの椅子には物語がある。
生まれた木が育った森のこと、木を伐った人の願い、木を削った人の夢。生まれた子どものために作られた椅子。手入れされた椅子がショーウィンドウに並んだ店。その椅子に一目ぼれして買った人。肘掛け椅子に座ってゆったり食事をする時間。チェロ弾きが座る椅子のある部屋。椅子は、人から人へ渡り、人の暮らしに寄り添ってきた。本企画の呼びかけで、三富に保全された平地林と六甲の森から伐採された木から生まれた30脚の椅子にもそれぞれの物語がある。
ぜひ、一歩足を止めて、その物語に耳を傾けて欲しい。さらには、この先のこれらの椅子の物語を想像して欲しい。
また同時に、これらの木と向き合った作家たちの声にもじっくりと耳を澄ませて欲しい。
もっと木に触れ、木のことを知り、身の周りの環境に興味を持って欲しいと願う声。作り手の想いが使い手に届くようにと祈る声。一緒に木を削って作る楽しみを伝えたい、と呼びかける声。手で触れ、五感で感じて作る実体験が急速に失われていく現代において、失ってしまうものは何なのか、と作家が問う声が聞こえて来る。それらは、作家が木と向き合い、会話する中で、自らその責任を請け負い、一歩踏み込んで、使い手に連帯を呼びかける高らかな謳歌にも聞こえる。
私たちが安価で手に入る、便利な集成材や、珍しい輸入材に夢中になっている間に、目に見えないほどの速度で身の回りの自然環境や、身の丈に合った暮らしの文化が失われてしまった。その間に置き去りにしてきてしまった大きな忘れ物は、いま、振り過ぎた振り子が急速に戻るように気候変動や、自然破壊、産業廃棄物となって目の前に還って来ている。
ここに来て、かつて豊かな資源循環型農業を実現した三富エリアは、将来に受け継がれるべき重要な農林水産業システムとして注目され、世界農業遺産認定へ向けた動きがつづいている。また、六甲でも支障木を伐採し、生活道具に活用する取り組みが続いているように、各地で循環型の暮らしの営みが見直されつつある。循環型の暮らしは、連帯が無ければ成り立たない。そこには、共感を育む地域のコミュニティーと、信頼関係が必要になってくるだろう。
目の前に見えて初めて気づくことの繰り返しに過ぎないかも知れないが、わずかでもこの作家と椅子の物語は私たちに、このひっ迫した現実を静かに語りかけている。