父との思い出
有限会社オリガミックアーキテクチャー 代表 茶谷 亜矢

父は不思議な人でした。総じて自由で放任主義で、時々研究対象を見ているような観察眼を娘にも向けていました。幼い頃は観察日記のような写真アルバムを制作して面白がっておりましたが、海外の仕事などで長期間のブランクを経て帰った頃の思春期の娘とは距離感が難しかったのでしょう。ほぼ会話はなく、父は仕事に没頭し家族より建築に魅入られてしまったと思っていたくらいです。
そんな無関心ポーズにもかかわらず、エッセイの話題に困ると家族ネタを勝手に挙げる父でもあり、根に持っていた私は父を利用することを思いついて、有名な建築家が登壇するセレモニーなどに連れて行ってもらったりしました。それが高じて、結果的に私からのアプローチで父と建築を共通言語として会話するようになっていたのでした。
特に折り紙建築のワークショップを一緒にするようになってからは、毎回夫婦漫才のようで楽しかったです。いつぞやは、私に任せて一人休憩に向かい終わりになっても戻ってこないので主催者側と探しに行ったのですが、財布を持たずに施設内のカフェに入っていて出られなくなっていた父を発見したことがありました。娘に怒られる父親の図が笑えました。私とは相性が良かったのか、同じところを歩けば父の居場所は割とすぐわかる気がしていました。何が父の興味を引くのか私も面白がっていました。
父が建築を志したきっかけは、終戦後友達の家が皆バラックだったのに興味を持って、その間取りなどを描いていった事だと言っていました。小学生の頃に野帳をとり図面化し研究する感覚があったとは驚きです。また建築学科の卒業設計では畳状の大きさの図面を繋げてプレゼンしたと聞きました。内容は聞かずじまいでしたが、何年かに一人突拍子もない事をする学生の一人だったのですね。そうしてそんな独創性にあふれた学生はやがて折り紙建築を考案し、40年以上も愛されるものを発表しました。
これまで多くの愛好家や「作家」により創意工夫が積み重ねられ、折り紙建築を昇華させて一つの文化として確立させ、また今回はこんなに多数のモダンムーブメントの建築物を折り紙建築で再現する企画には父も大喜びしていると思います。この度は貴重な機会を頂き、関連関係各者すべての方々へ感謝申し上げます。