ヒノキが千年持つのは本当か?
古来より日本は多様な樹種に恵まれ、適材適所に使い分けて木の文化を築いてきました。なかでもヒノキは耐久性に優れます。奈良や京都を中心に、千年以上の歴史をもつ木造建築が何棟も残されていますが、そのほとんどはヒノキで建てられています。日本書紀の「ヒノキは宮殿に使うと良い」という説話からも、古代の匠はヒノキの優秀さを認識していたことがうかがえます。
唐招提寺金堂平成修理における部材調査の様子
打割製材
ノコギリが未発達だった古代の日本では、木を割って製材していました。木目に沿って割る製材方法は、木の細胞を切断しません。そのため雨水を通しにくく長持ちにつながります。木目の真っすぐ通ったヒノキは、打割製材に適した樹種といえます。また、古代のヤリガンナは主に木の繊維に沿って削るので、現代の機械鉋と比較して木の繊維を壊しません。
唐招提寺金堂古材 大斗(だいと)
8世紀、ヒノキ、唐招提寺蔵
明治修理の時に取り外され唐招提寺に保管されていました。材質や寸法などから当初材と思われます。なお金堂の大斗の材質は当初材はヒノキ、元禄材と明治材はケヤキ。敷面に残る刃痕から小型の釿で加工されたことが分かります。
唐招提寺古材 野垂木(のだるき)
8世紀、ヒノキ、唐招提寺蔵
唐招提寺に伝わる古材の一つで、講堂の地垂木(当初材)を野垂木(建物不明)に転用したものと推定されます。数点残された同種の古材にはいずれも鑿(のみ)で割った痕跡が部材の両側面あるいは片側面に見られ、転用時の打割(うちわり)製材痕と考えられます。
千年経っても強度を保つ ヒノキの強さは科学的にも実証されています。重くて硬いケヤキは最初は強いけれど経過年数とともに右肩下がりに弱くなっていきます。一方、ヒノキの強度は驚くべきことに伐採後100~200年でいったん増し、その後緩やかに減少します。ヒノキの強度が一度増すのは木の組成分セルロースが結晶化し硬くなるためです。セルロースは時間の経過とともに崩壊しますが、ケヤキはヒノキの約5倍の崩壊速度、つまりヒノキ500年分の老化はケヤキ100年分に相当します。
ヒノキとケヤキの強度の比較
小原二郎『日本人と木の文化』、1984 掲載図版を再編
年輪から年代を調べる 近年の木造建築の年代調査では、年輪年代法という自然科学的な手法が取り入れられています。年輪年代法は、法隆寺の創建年代をはじめ、それまで建築様式で判断されてきた多くの建築年代を明らかにしてきました。唐招提寺金堂では、解体部材245点の年輪調査が行われ、そのうち159点の年輪年代が確定されました。なかでも樹皮が残存する地垂木3本が781年に伐採されたと判り、それまで不明だった創建年代が8世紀末であることが明らかになったのです。
年輪読取器
平成時代、奈良文化財研究所蔵/上:使用風景
唐招提寺金堂平成修理の年輪調査にも使用された年輪読取器。多様な部材に対応できるよう、顕微鏡部分や部材を置く台は上下左右に動かせます。近年はデジタルカメラで年輪を接写しコンピュータ上で計測する調査方法と併用されています。
唐招提寺金堂組物原寸模型
1999年、唐招提寺蔵
平成修理では組物に関する多くの実験をしています。力を加えて地震時の変形を調べたり、9年間上から圧力をかけ続けて長期間にどう変形するかを調べたりしました。本資料はその実験用組物の予備として作られたものです。