木造なのに倒れないのはなぜ?
木造は地震や台風に弱いというイメージがありますが、日本には千年を超える古代建築が残っています。そこには古代ならではの木を生かす知恵が秘められています。平成修理では、その知恵を受け継ぎながらも最新の構造解析をもとに長年の課題であった内倒れを解決する構造補強を行いました。
唐招提寺金堂平成修理における柱解体の様子
太い材木
古代建築は現在の2倍近い太い材を使っています。そのため継手や仕口の加工精度が低くても強さがあります。柱はさらに瓦や土などの屋根の重さで下に押さえつけられて、より強く傾斜復元力が働き、倒れにくくなっています。大径木が採取可能であった古代ならではの木組みといえます。
古代鎌
2021年、ヒノキ、竹中大工道具館製作
唐招提寺金堂の通肘木(とおしひじき)で使用されていた鎌継ぎを、当時と同じ技法で再現しました。古代の鎌継ぎは加工精度も甘く、男木(おぎ)と女木(めぎ)のバランスが後世に比べて不釣り合いですが、材木自体が巨大なため、これでも一定の強度を保っていたと思われます。
模型製作に使用された道具
(左から釿、ヤリガンナ、鑿)
個人蔵
古代鎌模型の製作に使用した道具。古代の継手に残る加工痕を参考に選出されました。釿(ちょうな)と鑿と鋸で継手の形状を作り、見える面はヤリガンナで仕上げられます。小型の蛤刃痕(釿あるいは鑿痕)が継手内部にも見られることが古代の特徴です。
唐招提寺金堂に使われた和釘
8世紀、唐招提寺蔵
唐招提寺金堂では接合部材にあわせてさまざまな長さの釘が使い分けられています。創建当初の釘では頭貫(かしらぬき)と柱を止める57cm の頭貫止釘(とめくぎ)が最長。長い釘は茎(なかご)頂部に別材を巻き付け釘頭を整形、短い釘は頭部を折り曲げて作られています。
平成修理に伴う調査によって、唐招提寺金堂は奈良時代に建てられてから二度の大きな修理を経て今に至ることが分かりました。1694年の元禄修理と1899年の明治修理です。当初と平成修理後を含めると、金堂の変遷は四期に分けられることになります。建物の各所に変化があったのですが、特に大きく変わったのが屋根裏の作り方でした。そこには奈良時代、江戸時代、明治時代、そして平成の、建物に対する考え方の違いが表れています。
創建当初
天井裏の梁と叉首が三角形を作って屋根を支えるシンプルな構造です。軒先で下から見える地垂木の上に直接屋根瓦を載せていました。
元禄修理後(1694~)
天井裏に新たに梁を架け渡し、束を立てて屋根を高くしました。日本建築は雨漏りを防ぐために屋根勾配をだんだん強くしてきました。屋根裏には軒先が垂れ下がるのを防ぐ桔木(青い部材)を入れて、室内には柱の内倒れを防ぐ方杖(赤い部材)を入れ、構造的にも強固になりました。
明治修理後(1899~)
屋根裏を、西洋から導入されたトラスと呼ばれる新形式に作り変えました。さらに桔木を二段にして、屋根の部材は全て桔木の上に載るようにしました。一方、方杖を撤去して室内の見た目を良くしたのですが、これが100年後の平成修理を招くことになってしまいました。
平成修理後(2009~)
補強材は全て屋根裏に取り付けているので、外から見た容(かたち)は明治修理後の容と変わりません。また補強材は全て後から取り外せるようになっています。従来の姿を極力残す、というのが平成修理の考え方でした。補強材の中でもポイントとなったのが、柱の内倒れを防ぐための方杖(赤い部材)です。
なぜ内倒れしたか
唐招提寺金堂の平成修理は、柱の内倒れを是正するために行われました。修理前の金堂は柱が傾き、もし地震が起きたら倒壊の恐れがあるほどでした。この柱の内倒れは金堂が最初から抱えていた構造的な欠陥によるものです。実は元禄修理、明治修理でもそれぞれのやり方でその欠陥を克服しようとしていたのですが、平成修理では改めて内倒れの原因が構造計算によって明らかにされ、それを防ぐための方法が考えられました。
創建当初
軒先にかかった力は組物に伝わり、柱を内側に倒すように働きます。高い天井を作るためにこの力を受ける部材が無いのが、金堂の抱える構造的な矛盾でした。そのため、時間が経つにつれ柱が内側に傾いてしまったと考えられます。
元禄修理後(1694~)
柱の頂上から梁の下面にむかって方杖を設けました。これにより、柱を内側に倒す力同士を打ち消しあって、柱の傾斜を防ぐことができたと考えられます。ただし室内側に現れた方杖は堂内の荘厳さを乱す武骨なものでした。
明治修理後(1899~)
室内の方杖を撤去したのですが、その代わりに桔木を二段にしました。当時の人は桔木が天秤のように働いて軒先にかかる力は上に逃げると考えたのでしょう。しかし実際には桔木下の方杖によって力は柱を倒す方に伝わり、ふたたび柱の傾斜をまねいてしまいました。
平成修理後(2009~)
これまでの変遷をふまえ、屋根裏に長い方杖を取り付けました。軒先にかかった力は柱を内側に倒すのではなく、方杖を押し上げようとします。しかし屋根の重さでそれを押え込めるので、全体でバランスがとれるようになりました。