木下直之全集:麦殿大明神にのんびりした一日を

麦殿大明神にのんびりした一日を

麦殿大明神

麦殿大明神とは誰か

江戸時代には、疱瘡(ほうそう)と並んで麻疹(はしか)が恐ろしい病気だった。さまざまな呪(まじな)いや禁忌(してはならないことや食べてはならないもの)でそれを防いだ。麻疹は麻疹神や麻疹鬼がもたらすとされ、そいつらと闘うヒーローのひとりにに麦殿(むぎどの)大明神がいる。出自は謎に満ちている。姿は願人坊主(がんにんぼうず)(つまりは大道芸人)、薬袋の鎧を身につけ、足でしっかりと麻疹鬼を押さえつける。「麦殿は生れながらにはしかして、もがさの跡は我身なりけり」という呪い歌が知られる。「もがさ」は疱瘡のことだから、麦殿は麻疹ばかりか疱瘡退散にも霊験あらたかだったようだ。

ついでに木下直之とは誰か

1954年に浜松駅前の薬屋の子に生まれた。あとから生まれたふたりの弟に比べて、「直之はほんとうにくだらん奴だ」が酒を一滴も飲まない謹厳実直な父の口癖だった。ふざけてばかりいた。いったんは真面目に考えるのだが、すぐにひっくり返したくなる。そうやって、いろいろな境界線をゆさぶってきた。

『薬屋の子どもたち』という本を書きたいと思ったが(その理由はいずれお話する)、それは完成にいたらなかった(誰が薬屋の子どもなのかを探すのが大変なんだ)。そんな時に麦殿大明神に出合った。麦殿は烏犀角(うさいかく)という薬の袋でつくった鎧に身を固めていた。世のひとびとのために、ふだんは麻疹の鬼を押さえつけたままでいる。トイレにも行けないじゃないか。薬屋の子どもとしては、せめて一日だけでも仕事から解放してあげ、ゆっくり休んでもらおうと思った。

喫茶店「麦」

そこで『麦殿大明神ののんびりした一日』を書こうと企てたが、ファイルをつくり、薬屋の孫に表紙絵を描かせただけでやっぱり未完に終わった。そのころにはつくりものやお城、凱旋門や銅像、絵馬や股間若衆などを追いかけることに忙しくなったからだ。麦殿と知り合ってとうに20年は過ぎているが、このたびの展覧会を機に、麦殿大明神招致委員会(ホントに呼んでいいんかい)を設置しようと思う。現代の日本に麦殿をお招きし、麦殿にわれわれの暮らしはどう見えるのかを知りたいのだ。本当にいらしてくださったら、まずはこの喫茶店にお連れして、長旅の疲れを癒してもらおうと思う。

喫茶店「麦」

麦殿大明神は大忙し

こちらでは年が明けて2018年になったけれど、麦殿大明神はまだ文久2年の江戸にいる。それが西暦の1862年にあたるということは、麦殿、蘭学にも通じているはずだから、当然ご存じのことだろう。

そのお姿は浮世絵師の歌川芳盛(うたがわよしもり)が伝えてくれる。以下は現地からのレポートである。

「芳盛さん、芳盛さん、そちらは今何時ぐらいですか?」

「はい、だんだんと夜が更けてまいりまして、四ツを少し回ったぐらいです。本当は夜間の外出は禁止されているのですが、麦殿にお参りするひとびとがひっきりなしにやって来て、途切れることがありません。みなさん、お礼参りだそうです。」

「ということは、こちらの時間で午後11時ぐらいでしょうか。」

「そうですね。6月の終わりごろから麻疹(はしか)が大流行しておりまして、7月に入って亡くなる方が増える一方です。先ほど、神田雉子町(きじちょう)ほか6町の名主斎藤月岑(げっしん)さん58歳にお話を伺ったのですが、「日本橋を渡る棺の数が一日に二百を超えたこともあった」とのことです(『武江年表』)。地元メディア『藤岡屋日記』は6月から8月の間に14210人が死んだと伝えています。江戸市中はパニックです。棺桶が足りません。」

「そりゃ大変ですね。」

「あのー、簡単に「大変」だなんておっしゃいますが、こちらでは「大変」を、そちらのみなさんのように軽くは使いません。もっとずっと重い言葉です。何しろ「変」が「大」なんですから、それはそれは大変なのです。近年では、江戸湾に黒船が現れた時、それからその直後の江戸が大地震に見舞われた時に使いました。二年前の春、老中井伊直弼(いいなおすけ)がテロリストたちに殺された時だって、桜田門外の変なんですから。」

「それはそれは失礼しました。ところで、麦殿はお元気でしょうか。」

喫茶店「麦」

<芳盛描く麦殿大明神>国際日本文化研究センター蔵

「大丈夫です。麦殿が麻疹に罹ったら話になりません。以前、<麦殿は生れながらにはしかして>で始まる呪い歌を紹介しましたが、これにはいくつかの解釈があります。ひとつは、すでに麻疹に罹っているから免疫があるというもの、もうひとつは、ここでいう「はしか」は芒(のぎ)のことで、麦の穂の先端にある棘(とげ)状の突起を指します。芒は「はしか」とも読みますから、これを麻疹に引っ掛けて、麦殿はもう麻疹なんか怖くない、というわけです。」

「駄洒落といえば、麦殿のお姿もちょっとふざけていますね。薬の紙袋でつくった鎧を身につけて。」

「烏犀角(うさいかく)という薬です。名主の斎藤さんも、烏犀角はよく利くけれど、度が過ぎれば、逆上して正気を失うとおっしゃっていました。医者は名医だろうが薮(やぶ)だろうが引っ張りだこで東奔西走(とうほんせいそう)、薬屋は大儲けのようです。」

「麦殿はどんな治療をされているのですか。」

「治療ではありません。指導です。してはいけないこと、たとえば酒、風呂、灸、房事(すなわち男女の交わり)などと、食べてよいもの、たとえば人参、百合根、隠元豆、長芋などを、みなさんにお伝えしています。」

「こちらでは麦殿を2018年の東京にお招きしようという委員会が活動を始めたのですが、どうやらまだ、それどころではないようですね。」

「そうですね。せっかくのお誘いではありますが、麦殿がそちらをお訪ねするのは、もう少し先のことになりそうです。」

「承知しました。麦殿大明神招致委員会に報告しておきます。芳盛レポーター、遅くまでありがとうございました。ちなみに、芳盛さんは、惜しくも昨年春に亡くなったあの歌川国芳さんのお弟子さんです。」

ということで、文久2年の夏に江戸のみならず日本中を恐怖に陥れた麻疹の大流行が収まるのをもうしばらく待つことにしよう。