茶室「待庵」
茶室「待庵」
伝千利休作 安土桃山時代 京都府 妙喜庵
Tai-an Teahouse, designed by Sen Rikyu, Azuchi-momoyama period, Myokian Temple, Kyoto Prefecture

国宝の茶室待庵は、現在、京都の山崎にある妙喜庵の方丈に付属している。確証はないが、江戸時代のはじめから待庵は利休の作と伝えられてきた。待庵がどこでつくられたか諸説あるが、利休は山崎に屋敷を営んでおり、そこで試みた茶室が利休の死後に妙喜庵に移築されたのではないかとの推測もできる。慶長11年(1606)につくられた宝積寺絵図には、妙喜庵に「かこひ」「袖すりの松」が書き込まれている。いずれにしても、妙喜庵における待庵の所在は慶長11年までは遡ることができる。利休が必死に追求した侘数寄の空間がこの二畳に結実された。二畳は侘茶の理想の空間であった。次いで利休は四畳半をも侘数寄の空間に吸収したのである。

[ 写真解説 ]
床の入隅から天井まで丸く塗り廻した室床。高くツラを付けた異例の床柱と、節が目を向いた半端な桐の框の取り合わせは侘の造形の極致。炉の隅を塗り廻し、天井と屋根裏を取り込んで、二畳の狭さを忘れさせた構成の絶妙さ。